杜を継ぐ。 明治神宮、代々木公園が湛える都内屈指の“杜”を、身近に愉しむ心豊かな日常へ。目まぐるしく変化する都心にあって、変わることのない四季の恵みと豊かな自然を満喫し、そのかけがえのない価値を未来へと受け継いでいくロケーションです。

杜を継ぐ。 明治神宮、代々木公園が湛える都内屈指の“杜”を、身近に愉しむ心豊かな日常へ。目まぐるしく変化する都心にあって、変わることのない四季の恵みと豊かな自然を満喫し、そのかけがえのない価値を未来へと受け継いでいくロケーションです。

代々木公園(約1,460m・徒歩19分/2014年6月撮影)

代々木の杜に寄り添う贅。 都内有数のグリーンゾーン、明治神宮、代々木公園に近接。都心にありながら、緑にふれあい、四季を愉しむ日常。

立地概念図

四季折々に見どころも多彩な明治神宮。150年構想の杜が心を癒す場所。

菖蒲田を始め春夏秋冬を通じて見どころが多彩な明治神宮は、徒歩9分の近さ。緑深い明治神宮の杜は、創建時、「人手を加えなくとも天然更新する」ことを目指し、150年後までを見据えた造成計画を練ったとされ、約96年を経た現在、すでに自然林のような“永遠の杜”が形成されています。

明治神宮、代々木公園が創る、計約124万㎡もの親自然環境。 公園・緑地面積比較グラフ
明治神宮(約720m・徒歩9分/2014年6月撮影) 代々木公園(約1,460m・徒歩19分/2014年6月撮影) 代々木公園(約1,460m・徒歩19分/2014年6月撮影)
ジョギングやサイクリング、ドッグランなど、アクティブに趣味を愉しめる代々木公園。ジョギングやサイクリング、ドッグランなど、アクティブに趣味を愉しめる代々木公園。
ジョギングやサイクリング、ドッグランなど、アクティブに楽しむなら代々木公園へ。1967年に森林公園として開園した代々木公園は、約半世紀を経て、生い茂る大木が人々を癒す魅力的な公園へと育っています。
代々木公園サイクリングコース(2014年6月撮影) 代々木公園ドッグラン(2014年6月撮影) 代々木公園中央広場(2014年6月撮影)
新宿御苑、新宿中央公園も徒歩圏。緑に抱かれるロケーション。新宿御苑、新宿中央公園も徒歩圏。緑に抱かれるロケーション。
イギリス式庭園、フランス式庭園、日本庭園の美しい景観を楽しめる新宿御苑にも歩けるポジション。フリーマーケットなどのイベントも楽しい新宿中央公園には、1周約1.1kmのジョギングコースも整備されています。
新宿御苑(約1,690m・徒歩22分) 新宿中央公園(約550m・徒歩7分/2014年4月撮影)

代々木邸宅地、本流の地。 天皇家御料地(現明治神宮)への憧憬に育まれ、幾多の華族、文士、芸術家が居を構えた土地柄。

明治神宮を囲むように建つ昭和初期の邸宅※昭和八年渋谷区詳細図

明治神宮の由緒とともに紡がれた現地周辺の邸宅地の歴史。

明治時代
明治維新後の廃藩置県等により武士が国元に帰り、大名、旗本の屋敷地の多くが明治政府に接収され、また明治2年(1869年)に武家地を桑や茶畑への転換する桑茶政策が発布されたこともあり、代々木一帯は農地が占めるようになります。

明治7年(1874年)、井伊家の広大な下屋敷跡地が宮内省に買い取られ、天皇家御料地(南豊島御料地=現明治神宮)となります。御料地には美しい庭園(現菖蒲田)があり、以後、明治天皇と昭憲皇太后がたびたび行啓されるようにました。

明治中頃以降、天皇家御料地(現明治神宮)への憧憬から、周辺に宮家、華族、富豪が居を構え、また、明治末期からは多くの文人・芸術家が移り住むようになりました。
大正時代
大正3年(1914年)、天皇家御料地に神宮の建設が決定。翌年より明治神宮の造営がスタート。

大正4年(1915年)、三千坪を超える五代目中村歌右衛門の千駄ヶ谷御殿(現代々木2-25)が完成。

大正9年(1920年)、明治神宮創建、11月1日御鎮座。

大正12年(1923年)、関東大震災が発生。銀座や日本橋、浅草など壊滅的な被害を受けた都心部に比べ、新宿、渋谷の高台エリアはほとんど被害を受けず、また、明治神宮の御鎮座という話題も重なり、代々木〜神山町〜松濤へと連なる高台エリアの宅地化が加速します。
昭和時代
昭和20年(1945年)、終戦。

昭和21年(1946年)、代々木練兵場跡地に米軍住宅「ワシントンハイツ」建設。

昭和31年(1956年)、戦後復興の一環として、新宿駅西口エリアの地盤の強さを拠り所とする「新宿副都心計画」が決定。

昭和39年(1964年)に「ワシントンハイツ」は返還され、東京オリンピックの選手村として整備され、その後、昭和42年(1967年)に代々木公園が開園します。

現在の代々木邸宅地のルーツは、天皇家御料地(現明治神宮)の北の高台。現在の代々木邸宅地のルーツは、天皇家御料地(現明治神宮)の北の高台。

明治時代中頃より、天皇家御料地(現明治神宮)の周囲には、宮家、華族、富豪が移り住むようになったと伝えられています。明治四十二年の東京近傍測図には、ほとんどを農地が占める代々木界隈にあって、天皇家御料地の北の高台には大区画の華族邸をはじめ、数多くの住宅が建ち並んでおり、このエリアが現在の代々木邸宅地のルーツであることを物語っています。

東京近傍明治四十二年測圖
田畑が多く残る代々木エリアにあって、『サンウッド代々木西参道』の周辺には、壬生伯爵邸、山内伯爵邸をはじめとする比較的大きな建物が描かれており、早くから屋敷町が形成されていたことがわかります。
東京近傍明治四十二年測圖 田畑が多く残る代々木エリアにあって、『サンウッド代々木西参道』の周辺には、壬生伯爵邸、山内伯爵邸をはじめとする比較的大きな建物が描かれており、早くから屋敷町が形成されていたことがわかります。
壬生伯爵邸壬生伯爵邸
東宮武官,侍従武官、陸軍少将を務めた壬生基義(もとよし)伯爵邸。壬生家は江戸時代に創立された公家。父は越後府知事、東京府知事、元老院議官を歴任した壬生基修(もとおさ)。
山内侯爵邸山内侯爵邸
貴族院議員、陸軍少佐を務めた山内豊景(とよかげ)侯爵邸。日露戦争に従軍し功を立て、勲三等瑞宝章、功五級金鵄勲章を受章。

明治から昭和にかけて幾多の文人、芸術家が才能を開花させた地。

天皇家御料地の豊かな自然に誘われるように、明治39年に小説家・田山花袋、同41年に日本画家・菱田春草、同42年に作詞家・高野辰之、大正3年に洋画家・岸田劉生が次々と現在の代々木三丁目に移住。彼らの代表作は、多くが代々木在住時の作品とされています。

田山花袋
国木田独歩、柳田国男らと共に一世を風靡した小説家。代々木在住時に「蒲団」「田舎教師」などを発表。島崎藤村と並ぶ自然主義の代表的な作家のひとりとして知られています。
菱田春草
横山大観らとともに日本美術の礎を築いた日本画家。伝統的な日本画にさまざまな革新的技法を導入したことで知られています。代々木周辺の雑木林をモチーフに描いた「落葉」が代表作。
高野辰之
国文学者、作詞家、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)教授。「故郷」「もみじ」「春がきた」「春の小川」などの文部省唱歌を作詞。「春の小川」は代々木に流れていた河骨川がモチーフとされています。
岸田劉生
大正〜昭和初期の日本を代表する洋画家のひとり。大正4年に発表された「道路と土手と塀(切通之写生)」は、当時の山内侯爵邸の塀を左手に、高台(現在の代々木三丁目方向)を見上げて描いたものです。

西新宿から明治神宮へと連なる武蔵野台地の良質な地盤。

関東大震災において、ほとんど被害を被らなかった新宿駅周辺の強固な地盤に着目し、1965年に策定されたマスタープランが「新宿副都心計画」です。『サンウッド代々木西参道』の敷地は、西新宿から明治神宮へと連なる、武蔵野台地の高台に位置し、開発から半世紀を経た摩天楼が、その地盤の確かさを物語っています。

出典:国土地理院 デジタル標高地形図