ココジカ

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初夏を先取る水辺散歩 日本橋川周遊クルーズで江戸の歴史を堪能

Vol.66 / 2017, 04

後編 いよいよ隅田川へ

ボートから見たスカイツリー

日本橋川の東端、「豊海橋」を抜けると、視界は眩いばかりの「青」一色へ染まります。晴れ渡る空と広がる大海原...もとい、隅田川に思わず大きく伸びをしたくなります。それもそのはず、先ほどまでいた日本橋川の大部分は高速道路で覆われているため、直射日光がほとんど届かなかったのです。隅田川へ合流すると往来する船が多くなるため、自然と波もたち、揺れも大きくなります。目前には一層青を引き立てる「永代橋」が見えてきました。

永代橋

「永代橋」は1698年(元禄11年)に5代将軍綱吉の50歳を記念して現在より100mほど上流の場所(中央区日本橋箱崎町~江東区佐賀一丁目)に架橋されましたが、1807年(文化4年)には落橋事故、1923年(大正12年)の関東大震災では橋が炎上するなど多くの被害に見舞われました。そのたびに再架橋され、今日では国の重要文化財に指定されています。

「永代橋」を過ぎてしばらくすると、隅田川が分流する地点に到達します。正面には佃のタワーマンション群がそびえます。タワーマンションを横目に進路は「中央大橋」へ向かいます。

中央大橋

「中央大橋」の形ですが...何かに見えませんか?実は、「兜」をモチーフにしています!現在の佃二丁目は江戸時代初期までは鎧島と呼ばれ、元々佃島と呼ばれていた現在の佃西部とは独立した別の島でした。その鎧島の名と合わせて「兜」をモチーフにしたともいわれています。

「中央大橋」は隅田川に架かる橋で現在の八重洲通りを通す橋です。奇しくも1993年(平成5年)8月26日お台場のレインボーブリッジと同日に完成しました。隅田川では「築地大橋」、「千住汐入大橋」、「新豊橋」に次ぐ4番目に新しい橋です。隅田川とフランスのセーヌ川が1989年(平成元年)に友好河川を提携したことから、フランスのデザイン会社に設計を依頼しています。橋の中ほどに立つブロンズ像(メッセンジャー像)こそ、友好河川提携の記念として当時のパリ市長から贈られたものです。隅田川には鉄道橋を含めると30以上の橋が架かっていますが、このような像があるのは「中央大橋」だけ、だそうです。

フランスの船の守護神
フランスの船の守護神

パリ市の紋章である帆船を抱いた像はフランスの船の守護神を表しています。 隅田川を正面に立つ姿は、あたかも隅田川の安全を見守っているよう...。像の正面は船からしか見られません。

続いて、亀島川方面へと進みます。亀島川は、日本橋川から隅田川へ合流する全長1.1キロメートルほどの川で、川の両端には防潮水門があります。潮の満ち引きの影響を受けるため、高潮や津波の被害から街を守るために上流の日本橋水門、河口の亀島川水門がおかれ、完全に閉め切ることができるそうです。亀島川水門をくぐって、さらに進みます。

亀島川水門
亀島川水門
日本橋水門
日本橋水門

早速、後半の見どころである、「南高橋(みなみたかばし)」に差し掛かります。こちらは関東大震災後の復興事業により、架橋を計画されましたが、予算が乏しくなっていた東京市は、悩んだ末、「両国橋」の損傷が少ない部分を補強して再利用しました。その結果、明治の鉄橋が現代に残ることとなり、車が通れる橋ではなんと都内最古のもので、中央区民有形文化財に指定されています。

南高橋(みなみたかばし)

川の中ほどに差し掛かり、川と同じ名称になっている「亀島橋」を通過します。

亀島川は亀島という町名に由来し、街に瓶(かめ)を売るものが多く住んでいたという説と、亀に似た小島があったという2つの説があります。 江戸時代、新川界隈では川沿いに上方(現大阪)から廻船と呼ばれる貨物船で運ばれてきた「下り酒(くだりざけ)」を仕入れる酒問屋が多く軒を連ねていたそう。そのため、「瓶」を売るものが多かったといわれているとか。

遠目では判別できませんが、橋の欄干は亀の甲羅をイメージしたデザインになっているそう。色合いからして、まさに「亀」。
遠目では判別できませんが、橋の欄干は亀の甲羅をイメージしたデザインになっているそう。色合いからして、まさに「亀」。
江戸名所図会1巻より「新川 酒問屋」
江戸名所図会1巻より「新川 酒問屋」
出典:都立中央図書館特別文庫室所蔵 江戸名所圖會(目録首)
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ツアーの最後の橋は、「霊岸橋」という橋で見納めです。

霊岸橋

字面から少々不気味な印象ですが、名前の由来は江戸時代に霊巌上人が江戸時代に霊巌寺というお寺を創建したことから、「霊巌島」と呼ばれていたことにありますので、ご心配なく。今日の橋は旧橋の老朽化により1985年(昭和60年)に架橋されています。
なお、霊巌寺は1657年(明暦3年)の明暦の大火で焼失してしまい、現在は深川 清澄白河に移りました。

さて、一通りの見学を終え、船は一路、「日本橋船着場」へ向かいます。 60分という時間はあっという間でした。土地にまつわる歴史を勉強しようという名目で参加しましたが、風を受けて水面を進む船旅はとても気持ちの良いものでした。

コースを振り返ってみて

歴史を学ぶとともに、橋を次代に残すためにと奮闘する人たちの存在を知りました。
日本橋下を通過した際に、リバーガイドの村木さんはこう、仰っていました。
「日本橋の所々に黒い煤汚れがあるのは、1923年の関東大震災の際に、橋の下を燃えた船が通過したために焦げてしまった跡といわれています。また、東京大空襲の際に投下された焼夷弾の跡もみられます。2010年に日本橋の汚れを落とすクリーニングが実施されましたが、そのことを忘れないようにと、あえて残されたものなんです。」今日私たちが何気なく目にしているものには意味があるのだと感じました。

ツアーのご案内

店舗情報江戸東京再発見コンソーシアム(日本橋船着場)

コース名:日本橋川コース
所要時間:約60分
料金:大人 2,500円 / 子供 1,500円 ※4歳以上~12歳以下のお子さまは「子供料金」が適用されます。
住所:日本橋船着場 〒103-0027 東京都中央区日本橋一丁目9番地先
アクセス:東西線・浅草線「日本橋」駅を利用の場合 B12出口(COREDO日本橋直結)の階段を上がり日本橋へ向かって100mほど歩いたところ
半蔵門線・銀座線「三越前」駅を利用の場合 B6出口を出て日本橋を渡ってすぐ左手。
申込み方法:お電話 江戸東京再発見コンソーシアム 03-3668-0700
受付時間:9時~12時 13時~17時 ※土日祝日はお休み。
URL:ホームページ

※掲載の情報は発行月時点の情報であり、現在とは異なる可能性があります。