日暮の里に住まう(谷中霊園・散策編1)

1867年(慶応3年)に江戸幕府第15代将軍 徳川慶喜が大政奉還に踏み切って、今年で150周年を迎えます。
巷では二条城を始めとして、幕末・維新の英雄にゆかりのある場所で様々なイベントが開催されています。

徳川慶喜ほど評価の分かれる将軍も珍しい...といわれるのをお聞きになった方も多いのでは。
「大政奉還」は英断だったといわれる一方、「鳥羽・伏見の戦い」で形勢が不利になると、配下の人間には撤退はならぬと鼓舞しておきながら、自分は腹心とともに江戸に逃げ帰る...といったふうに、非難を浴びた将軍でもあります。

今回は、徳川慶喜が眠る墓所が谷中霊園にあると聞き、墓前にお参りしてきました。

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谷中霊園はJR・京成線「日暮里」駅より徒歩6分。
約10万平方メートルという広大な土地に、7000基ほどのお墓が建てられているといわれています。



<慶喜編>
少々不安な気持ちで歩くこと数分、「徳川慶喜のお墓」という案内板を見つけました。
案内に沿ってしばらく進むと、他の区画と鉄の門扉で隔てられた広い空間に突き当たりました。

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この煌びやかな葵の御紋には見覚えがあるぞ...と、恐れ多くも門扉に手をかけようとしたところ、背後からはっきりと男性のしわがれた声が聞こえてきました。
「慶喜公に何の用だ」
数センチほど飛び上がったかもしれません。振り返るとそこには頭に矢の刺さった旧幕府軍の落ち武者が...いるはずもなく、管理人と思しき男性がホウキを片手に立っていらっしゃいました。
怖がったのを悟られないように、「慶喜の墓参りにきた」と話すと、慶喜にまつわるこんな話をしてくださいました。

「墓の形が変わっているだろう、なぜだと思う?」
鉄格子ごしに中をのぞいてみると...確かに不思議な形をしています。

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墓標ではなく、なにやら「古墳」のような形に見えます。

これは、徳川慶喜が生前に明治天皇から「従一位勲一等公爵位」の位を授かったことに感激し、自らの葬儀を仏式ではなく天皇家に倣って神式で行ってほしいと厳命したから、神道式の墓になっているためだとか。
左側が徳川慶喜、右側が正室の美賀子のお墓です。
この中には、いくつか墓があり、側室や子供達も埋葬されているそうです。

しきりに感心していると、「慶喜ゆかりの人間はまだ、谷中霊園内に大勢眠っている」とのこと。

次号(5月16日配信予定)で詳しくお伝えします!


【谷中霊園】
 住所:東京都台東区谷中7-5-24
 ※JR・京成線「日暮里」駅より徒歩6分



≪「西日暮里フラッツ」のHPはこちら≫
東京メトロ千代田線「西日暮里」駅徒歩5分。JR線「西日暮里」駅徒歩6分。
※掲載の画像は、2017年5月撮影。

※掲載の徒歩分数は分速80mとして算出しており、端数を切り上げてあります。
※掲載の情報は記事の掲載時点の情報であり、現在とは異なる可能性があります。